Gyao動画鑑賞『寝ても覚めても』

1回目、ざっと観た感想として、いい映画だったとは思わなかったけれど、とても印象深い内容でした。まさしく寝ても覚めても、心に引っかかりが残ってしまうくらい。

詳しいあらすじは省きますが、とかく「朝子」と「麦」の存在が、ふわふわ浮いている感覚でした。終始、無と不穏。そんな二人とは対照的に、周囲の人間はリアルを生きていて感情や言動が明瞭です。だからよけいに、彼女らが浮世離れして見える。

ちなみに、原作は読んでいませんし、映画文学等の観点から語ることができませんので、悪しからずご了承ください。

「朝子」の心の揺れは、表面上はハッキリと見えてきません。これは敢えてそういう演出なのでしょうか。しかも、「好き」とか「めっちゃ好き」とかいう言葉すら、無機質で軽薄さを醸し出していて、

そのくせ、決断するときはスパっと判りやすく意思表示をします。だから、

「何がしたいん? この子… なんかムカつく」

って苛立ちと困惑が右往左往したりもしました;;

それと、正直、「亮平」が朝子を好きになる理由が見つからなくって。初対面でいきなり「バクやん」言われて、顔触られたりして気があるんかと思ったら逃げられて、どう考えても「朝子」は挙動不審な女にしか見えないし。ある意味衝撃的すぎて嫌でも気になる→気付いたら好きになってたパターンでしょうか。

でもね、恋愛とは何か、ってはっきりと誰もが納得する答えって、なかなか出せないもんだから、これはこれでひとつの恋愛のケースとして捉えたらいいのかもしれません。

(私事ですけど)かつて、
「俺のこと本当に好きではないでしょ?」
と訊かれて、明白な答えも出せないままでいたら、勝手に結論出されて振られたっていうことがありました。

で、いま、同じ質問を旦那に問われても、きっと答えられないと思うんですよ。ていうか

“ほんとうに”好きって、何なの?

未だにわかりません。体のいい振り文句じゃないかなっていうことぐらいしか。好きに本当とか嘘とかってあんの? 好きじゃなかったらどうでもいい相手ってことだから、親しくなんかなろうとはしないわぃ。

…あ、ちょっと脱線しかけた。

「朝子」ってね、嘘がないんですよね。容姿が激似の「麦」と付き合ってた事実を隠していたとしても。「麦」のことも好きだったし、もちろん「亮平」も好き。だから残酷。

ただ、「麦」と北海道へ向かう途中の仙台で、何をきっかけに我に返ったかがいまいち掴めなかったのですが、ちゃんと「麦」とサヨナラをして、まっすぐ前を向いて歩きだした「朝子」が好きです。

受動的だったのが、能動的になった。と申しましょうか。

「麦」が居なくなっても、また会えたとしても、そこまで感情をあらわにしなかったのに、「亮平」や友達を傷つけて初めて、後悔の涙を流した。

やっと、「朝子」に出会えた瞬間でした(わたしのなかでね)。

「朝子」に捨てられた瞬間の「亮平」の表情も、好きだなぁ。ヤサグレ亮平。こっから恐らく、今までのおおらかな彼は鳴りを潜めて、嫌なことは嫌、ってズバズバ反論するタイプになるでしょうな。それでも

「お前のこと一生信じない」

って敢えて忠告するあたり優しさ醸し出してるけれど。「朝子」は変貌した彼も受け止めて生きていけるんでしょうか。それは誰にも分りません。

……うーん、やっぱり、いい映画だったかもしれません。無料公開期間はまだあるので、もう一度見直してみようかなぁ。