2月24日のイライラ

「あなたにわたしの何がわかるというの?」
というセリフは、好きではありません。

たとえシックスセンスが働いたり読心術が使えてその人のことが視えたとしても、まったく同じ体験は他人にはできません。同調するか同情するか慰めるかしかできないって至極当然わかりきっているのに、そんな疑問符を投げかけるのは卑屈で、ときに滑稽でしかなく、相手を傷つけてしまうこともありますよね。

だけど、恥ずかしい話、最近ふとそんな(上記の)感情が湧き出てしまうことがありまして。
「同じ環境、同じ立場になったことがないのに、どうして人を諭せるのか?」
と。

相手にしてみれば、わたしのことを思って言ってくれた善意の気持ちかもしれません。でも、感謝の念とは裏腹に、なにか胸にしこりが残ったような感覚になり、苛立ちます。

大人になるにつれて、自分自身が幼少時代からどういった思考で生きてきたのかをふと思い出されることがあり、それとともに都合よく解釈していってる部分が多いことにも気づかされますが、今だから理解できることでも、それでも払拭できない問題はあるわけで。
それは、やはり家庭環境が原因とするところが大いにしてあって、自分の価値観の押し付けになってしまうけれど“何不自由なく”生きてきたように見えてしまう人に諭されると、癪に障るんですよ。

でも、何不自由なくって感じているのはわたしの勝手な解釈だから、
「あなたにわたしの何がわかるというの?」
というセリフは、わたしの脳裏でさらに卑屈度を増して自身に跳ね返って、口から発せずともダメージを食らうという…

なんか面倒くさいことを考えてたら、疲れました^^;

もやもやして書き出したけれど、途中で伝えたいことが解らなくなってきたので、実際にはそんなに悩んでなかったのかもしれません。

kitsugi

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