映画鑑賞『プーと大人になった僕』(改)

「くまのプーさん」の世界観を知らないわたしではありますが、予告編を目にしたときから何か胸に熱くなるものを感じ、絶対に観に行きたかった映画であります。まさか旦那が快く一緒に観に来てくれると思わなかったので、すごくうれしかったです。

いろいろと如何ともしがたい現実を体験して、いくつか歳を重ねた大人だからこそ、胸に響くファンタジーに映るのかなぁという感覚です。客観視したら、ぬいぐるみの一挙一動に笑ったり怒ったり…なんか痛い大人のように見えなくもない…ですよね。でも、不思議と違和感がなかったんです。

というのも、思い起こせば子供のころ、わたしは人形を持っていなかったので、百人一首の札を使っておとぎ話の世界を作り、お人形遊びもどきをしていました。実物の小野小町がどういう人物か知らずに、誰かと一緒にさせたり、恋敵に紫式部をあてがったり。その世界に自分が入れたらいいなぁって思っていました。

だって、自分の作る世界だから、もちろん、自分ルールでSTORYも思うがままに描くことができますし、自分の立ち位置も都合よく決められるし。

さて、この映画の中での動物たちとクリストファー・ロビンの関係性がとても面白いです。
お友達どうしではあるけれど、無邪気な動物たちを見守ったり助言したり、少しだけお兄ちゃんの位置づけのクリストファー。
だからなのか、“ズオウ”や“ヒイタチ”にしても、プーさんの夢の中に存在する想像上の生き物であって実際に居るはずはないのだけれど、100エイカーの森に住むみんなは、クリストファーの発する一言一言を疑うことなく信じていて、彼がズオウをやっつけた!と言ったら、恐怖なんかあっという間に吹っ飛んじゃうわけで。

彼が大人になってからは動物たちに対してもお父さん目線で接してましたね。とくにプーさんには、仕事の苛立ちが募って頭ごなしに怒鳴ってしまったり。でも、見た目は変わってしまっても、動物たちにとってのクリストファーは昔と何ら変わりはありませんから、接し方も同じです。

ひとつだけ、気になっているとすれば、クリストファーが100エイカーの森に再び足を踏み入れた時。お庭のテーブルがなぜか、さようなら会をした時のまま、だったこと。ここは時間軸がないのかしら? 動物たちが成長していないのにも関連があるのでしょうか。

個人的には、イーヨー(ロバ)がもう可愛くて仕方なくて。

ツボだったのは、再会した時なぜか仰向けに河に浮いていて、「消えても誰も気づかれない」とか言いながら抗うことなくそのまま滝壺へ流されていってるシーン。またそのあとで「元気だった記憶がない」と気落ちした表情をしていたけれど、仲間のためにズオウを倒す仕草をしているクリストファーの姿を見た瞬間の、輝きを取り戻した瞳。

クリストファーに抱えられている姿も可愛かったし、わたしもあの大きさのイーヨー欲しい!とか思いながら、映画館で物欲しそうにグッズを眺めていると、旦那がディズニーショップまで連れて行ってくれて、買ってくれたのです。

イーヨーのマスコットです^^ めっちゃ可愛いですよね? 感謝★

メッセージ性はないのではないか、と、そう解釈してしまっていましたが、映画の感想を書かれているサイトを読んでみると、意外と深い物語だったのですね。「何もしないをする」とかね。もう一度、機会があればじっくり観なおしてみたいかも。

※加筆修正しました