仕事が終わって自分の時間があったので、久しぶりにTOHOシネマズに寄って佐藤健くんに会ってきました。
土曜日ということもあって、まぁまぁ混んでいたのですが、意外にも男性のお客さんが多かったことに驚きでした。
もしかしたら、キャスト以上に、原作者に影響力があるということなのかもしれません。なんとなく。
この本を手にした時、帯にある『映画化決定』の文字と、佐藤健くんの写真に惹かれた…のは紛れもない事実ですが、映画を期待する反面、あるちょっとした不安もよぎっていました。
解説のなかの一文にある原作者の言葉“あえて映像にならないものをこそ書いた”物語を、映画化するということに対する、漠然とした不安。うまく言い表せませんが、上映が開始して数分でその不安が的中したことで、“あえて映像にした”制作サイドの意図がよくわかりませんでした。
(単にビジネスかしら…)
ファンタジー要素を入れるなら、何故、悪魔役はアロハ着てないのかとか、猫は終始みゃあみゃあ啼くだけにしたのはどうしてか… フーカフーカが少ないじゃんかとか。
いやもしかしたらファンタジー要素は極力なくして、人間愛に重点を絞った内容にしたのでしょうか。でもそれなら別に猫が消えようが消えまいが関係ないじゃないかと。
泣かせたいだけならば、川村さん原作でなくてもよいじゃないかと。
ただ、色々と削ぎ落とされたことで、
「何かを得るためには、何かを失わなくてはね」
という主人公の母親の言葉がとてもすんなりと頭に入り… 改めて、川村さんの世界観に脱帽した次第です。
この映画の中で注目すべきは、濱田岳さんの存在感です。
モノトーンのようにあまり色彩が感じられず、淡々と物語が進んでいく中で、唯一、能動的な存在というか。彼女よりも印象が強いです。そういう脚本と言うより濱田さんの演技力がそう思わせているのかもしれませんね。
この主人公のように、すべてを受け入れて最期の時を迎えることが出来るのは、とても幸せなことなのでしょう。現に、無念の死を遂げるひとも少なくないのですから。
去り際も、肝心ですね。。。なんか自然に色々と考えを巡らせてしまうお話です。
個人的に、映画を見た後に原作を読むといいかなぁと思います。なんとなく。