映画鑑賞『何者』

ネット上に言葉を綴っていないと立ってられないのは、わたしも同じで、だからこうして不定期でもブログ記事を書いているのですが、否定されるのは嫌だからなるべく大々的には公表していません(弱い)。

そして、わたしはどちらかというと主人公・二宮拓人くんに近いものがあって、とくにずっと一緒に演劇をやっていた銀次くんに向かってLINEで辛辣な言葉をどんどん投げかけている様は、観ていてだんだん息苦しくなり、最後にはたまらず目を伏せてしまう程でした。

やりきれない気持ちを、そうやってぶつけて、相手の方から去っていくように仕向けて、逃げ出したのは相手だと自分を肯定する(この場合の拓人くんはもっと複雑な心境だったかもですが)。

ただ、わたしはそこまで自分自身の理想と現実に打ちのめされて抗って、周囲を妬んだりするほど“一生懸命に”青春時代を生きておりません。わたしが学生時代はまだそこまで就職難ではなかったからなのか、意外とすんなり就職できてしまったからでしょう。

しかし物心ついたときからのわたしの心は、常に嫉妬心で支配されまくってました。

自分の中に可能性を見出そうとして模索しては、何にも無いと気付き諦め、少しでも何かを持っていて、そしてその何かで食べていくための選択肢がある、それを否定されることもない環境であるひとを、とても羨ましいと思いました。

そういう気持ちは素直に言葉に出さずとも、自然とトゲとなって相手を刺していくんですね。はじめは解らなくて、ただ自分は客観視して分析してるだけだと勘違いしていました。そういう分析しては語る性質は父親に似たのですが、父もどちらかというと自分の思い通りの人生を歩めていないため、自分では気づかない間に周囲を僻んで見ているのかもしれません。

この映画の中で、拓人くんが救われたのは、よい仲間に出会えたことですよね。拓人くんの性格はきっと、光太郎くんも瑞月ちゃんも気付いてて、でも傷つけないように見守っていたのだろうと感じました。サワ先輩はもっと優しくて、遠回しに諭してくれてましたね。
(そういえば、里香以外は誰も彼を責めてない)

いやでも、友達が就職した会社の評判を調べるとか… これは引きますわ。わたしはそこまで澱んでない、と信じたいです。
自分は自分でしかない。何者になるかは、自分次第。他人なんか関係ないですよね。

久々に深く考えさせられた映画でした。