何度目かのリスタート

少しでも恩を感じているから、出来る限り親のために出せるお金は出したいと思っていますが、そのため自分だけに使える金額に限りがあります。

わたしの買う衣類を安もんだとかセンス無いとか笑うけれど(センス無いのはまぁ自覚症状ありなんで否定しませんが)、“安もんしか買えない”事情もあるということを、彼女たちは知る由もないんだろうなぁと。

とはいえ、わたし自身もファッションより“電子機器系”のほうが興味があって、洋服に○万円も使うならその分PC買い替えたいとかコンポ欲しいとかって思っちゃうんですが。

いまは携帯代の比重が大きくて、そこを改善できれば問題ないかも。後は、それだけの金額を稼ぐってことですね。それに尽きる…気がします。

口を開けば“お金”の話になる母親をわたしは好きじゃありません。物心ついたときから、無駄なものにお金を使うことを母は極端に嫌い、わたしの好きなものを徹底的に否定し排除してきました。

だから、わたしはいつも“親がダメと言わないモノ”を極力選ぶようになっていて、それが本当に欲しいものか自分で判断できなくなってしまったのです。

思春期時代に、もっと自分の欲望に忠実なものをコツコツ貯めて買う習慣があればよかった。過去を責めても仕方ないのは解ってますが、もしその欲しかったものが無駄になったとしても、人生においては絶対に意味の或るものに違いないからです。

両親が自分らの青春時代を省みて、あれが好きだった、これを集めてた…なんて話をするたびに、わたしは心が乾いていくのを感じます。

彼が趣味が高じて自分の店を持ち、必死でそれを守ってきた数年間を、正直、わたしは僻むことがありました。
今は、羨ましいという気持ちはあっても、それがあってこその彼の魅力であると、とても誇りに思っています。

本当に好きなものを追求してきた時間は何物にも変え難い、尊いものです。絶対に人生の肥やしになります。だからわたしは彼の未来を悲観してないのです。たぶん(苦笑)。

結局、両親は自分が望む人生を歩んでこなかったことを、同じようにわたしに強いているだけなんじゃないかな、と。
好きなことを仕事に出来る人はほんの僅かしかいない、仕事というのは苦痛であって当然、それは生きるためには仕方ないことと、そうわたしに強く言っておりましたので。

そこでわたしは反発して、それでも自分を貫いてやる! と強気で進んでいけば変われたのでしょうが、そもそも、その当時は“自分”が無かったのだから、難しい話ですね。

現状もまぁあまり成長はしてないんですけど^^;
ただ言えることは、その時分より更にわたしは自分自身を愛していますので、その気持ちを強く押し出せるかがカギだと踏んでいます。

楽しいこと、やりがいのあること、見つけ出せるかな。。。40歳の挑戦が始まります。

就活、、、プレッシャーです(><)